【旅】和田銀銅山<台所間歩・瓢箪間歩>:兵庫県川辺郡 -2017/6/24-
2018/09/12
Hyogo Travel Photo
Wada silver copper mine
和田銀銅山
<台所間歩・瓢箪間歩>
2017/6/24
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和田銀銅山
<台所間歩・瓢箪間歩>
兵庫県川辺郡猪名川町銀山長家前4-4
台所間歩:地図
瓢箪間歩:地図
見学自由
兵庫県川辺郡にある
和田銀銅山<台所間歩・瓢箪間歩>。
豊臣秀吉の埋蔵金伝説が残る魅惑の場所です。
今は山深く静かなところですが、
豊臣家の最盛期には2000本もの坑道を持ち、
徳川家の江戸時代には銀山三千軒と称され賑わったとか。
奈良時代には大仏造立に銅を寄進した
とも伝えられロマンが溢れます。
瓢箪間歩は、
豊臣秀吉の採掘時期の代表的な間歩。
秀吉の馬印”千成瓢箪”を
入口に立てることを許されたことから、
瓢箪間歩と呼ばれるようになったとか。
伝承では馬上のまま秀吉がこの間歩に入ったそうです。
台所間歩は、
大阪城の台所(財政)を潤すほどの産出量から、
その名がついたとか。
今の姿からは想像もつきませんが、
どちらも往時は豊富に銀・銅が採掘されていたそうです。
和田銀銅山<台所間歩・瓢箪間歩>。
豊臣秀吉の埋蔵金伝説が残る魅惑の場所です。
今は山深く静かなところですが、
豊臣家の最盛期には2000本もの坑道を持ち、
徳川家の江戸時代には銀山三千軒と称され賑わったとか。
奈良時代には大仏造立に銅を寄進した
とも伝えられロマンが溢れます。
瓢箪間歩は、
豊臣秀吉の採掘時期の代表的な間歩。
秀吉の馬印”千成瓢箪”を
入口に立てることを許されたことから、
瓢箪間歩と呼ばれるようになったとか。
伝承では馬上のまま秀吉がこの間歩に入ったそうです。
台所間歩は、
大阪城の台所(財政)を潤すほどの産出量から、
その名がついたとか。
今の姿からは想像もつきませんが、
どちらも往時は豊富に銀・銅が採掘されていたそうです。